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東京地方裁判所 昭和48年(ワ)10141号 判決

原告 甲野太郎

被告 医療法人社団一陽会 外三名 〔人名一部仮名〕

主文

1  被告医療法人社団一陽会は原告に対し金五万円を支払え。

2  原告の医療法人社団一陽会に対するその余の請求およびその余の被告に対する請求をすべて棄却する。

3  訴訟費用は一〇分し、その一を被告医療法人社団一陽会の負担とし、その余は原告の負担とする。

事実

第一申立

(第五九八〇号事件)

一  原告

1 被告医療法人社団一陽会(以下被告一陽会という)は原告に対し金一〇〇万円を支払え。

2 訴訟費用は被告一陽会の負担とする。

二  被告一陽会

1 原告の請求を棄却する。

2 訴訟費用は原告の負担とする。

(第一〇一四一号事件)

一  原告

1 原告に対し、被告一陽会は金一万一〇〇〇円、被告吉田実(以下被告実という)、同吉田政子(以下被告政子という)、同尾嶋義治は各自金一一万一〇〇〇円を支払え。

2 訴訟費用は被告らの負担とする。

二  被告ら

1 被告一陽会の本案前の申立

(1)  本件訴を却下する。

(2)  訴訟費用は原告の負担とする。

2 被告一陽会および同尾嶋の本案に対する申立

(1)  原告の請求を棄却する。

(2)  訴訟費用は原告の負担とする。

第二主張

(第五九八〇号事件)

一  請求原因

1 被告一陽会は、陽和病院という病院を開設し、医療を業とする法人である。

2 右被告は、原告が精神分裂病に罹患していると虚偽の診断を下して、原告をその意に反して昭和四三年六月五日から同年一二月二七日まで同病院に入院させた。

右入院中原告の尋問に対し、同病院の山崎医師らは唯原告は病気であると執拗に繰り返すばかりであり、遂に原告も自分が病気になつていると思い込むに至る有様であつた。

3 同被告の右行為は、監禁、脅迫、名誉毀損として原告に対する不法行為にあたるというべきであり、被告の右行為により原告の受けた精神的苦痛を慰藉するには一〇億円が必要である。

4 よつて、原告は同被告に対し右一〇億円のうち一〇〇万円の支払を本訴において求める。

二  請求原因に対する被告一陽会の答弁ならびに主張

1 請求原因1は認める。

同2、3のうち、原告主張の期間中原告が陽和病院に精神分裂病に罹患しているとして入院していたことは認めるが、その余の事実は否認する。

2 原告が右病院に入院するに至つたのは、昭和四三年六月四日ごろ滝の川警察署から新潟市の原告の実家に、原告の言動におかしいところがあるので、精神鑑定を受けさせるようにとの連絡があり、原告の実兄甲野二郎が上京して、同年六月五日原告を東京都精神衛生課下谷分室に連れて行き、精神鑑定を受けさせた結果、入院六ケ月を要する精神分裂病と診断され、同所において陽和病院を紹介され、同病院に来院したためである。

そこで、同病院では、同日山崎信之医師らにより原告を診察したところ、やはり入院治療を要する精神分裂病と診断し、原告の実父甲野三郎の同意を得て、精神衛生法三三条により同日原告を入院させた。

ちなみに、右入院手続については、精神衛生法所定の保護義務者選任手続が欠けている。しかしながら、原告の保護義務者となるべき資格を有する扶養義務者六名のうち父、母、兄二郎は、事前又は事後に原告の右入院を承諾しており、他の姉弟ら三名はすでに結婚して独立し、原告とは殆んど交流がなく、保護義務者として不適格であり、又原告も、入院後間もなく自己の病状を自覚し、入院して治療を受けることを承諾するようになり、現に昭和四三年九月一四日から開放病棟に移つてからも病院を無断で退去するようなこともしておらず、さらに精神衛生法が、扶養義務者の中から保護義務者を家庭裁判所において選任する旨定めた趣旨は、家族間の利害の対立から精神病者でない者を精神病者として入院させるなどの不当な行為を防ぐためであるが、本件に関してはそのような事実は皆無であることなどよりすれば、右瑕疵は単なる行政法規違反にすぎず、不法行為の成否に影響をもつものとはいえない。

仮りに、原告の右入院が違法であるとしても、原告は当時精神分裂病に罹患していたのであり、被告病院に入院の結果、自己の病状を自覚するまでに回復するに至つたのであるから、右入院により原告は利益こそ受け、損害は受けていないというべきである。

三  被告一陽会の主張に対する原告の答弁

被告の主張事実はいずれも否認する。但し、被告も主張するとおり、精神衛生法の保護義務者の選任手続がなされていなかつたことは認める。又原告の父親が入院承諾をしたことは不知。

(第一〇一四一号事件)

一  請求原因

1 被告実、同政子は、昭和四二年当時夫婦として、同被告らの肩書住所地の寿荘一階三畳の部屋に居住していたものであり(現在は同建物一階三室に居住中)、被告尾嶋は右建物の所有者である。

2 原告は、昭和四二年三月二四日当時被告実らが居住していた右部屋の隣室三畳の間を被告尾嶋から賃借して入居したところ、同年秋ごろから、被告政子が被告実と共謀の上、夜中呪声を発して原告の睡眠を妨害するようになり、これに対しそのころ原告が右被告らおよび家主の被告尾嶋に抗議を申入れても全く取り合つてくれないばかりか、被告実に至つては原告に対し侮蔑的態度すら示したので、遂に我慢できず、原告は同被告の腹部を手挙で殴打し、このため罰金五〇〇〇円の刑に処せられ、国選弁護料六〇〇〇円と共に計一万一〇〇〇円の支払を余儀なくされた。

3 そのうち、前記寿荘に隣接して所在し、同じ被告尾嶋の所有にかかる平和荘の一室(三畳の間)の住人が退去し、空屋となつたので、被告政子らの右不法行為から逃れるため、原告が同被告に無断で右部屋に転居したところ、被告尾嶋は、前記原告の抗議に対し、家主として当然被告実、同政子に対し、同人らの前記不法行為を制止すべき義務があるにもかかわらず、これを怠つたばかりか、原告がやむにやまれずなした右転室さえも口をきわめて非難したのである。

4 原告は、昭和四三年六月五日兄二郎により東京都精神衛生センターヘ連れて行かれ、又前記のとおり病気でもないのに、同日から同年一二月二七日までの間被告一陽会経営の陽和病院へ入院させられたのであるが、それは同被告が原告を精神分裂病であると虚偽の診断をしたためであり、又右入院中同被告の医師らは原告に対し原告が精神病であると述べて脅迫した。

5 以上の次第であつて、被告らの右各行為は、原告に対する不法行為にあたるというべきであり、被告実、同政子、同尾嶋は原告が支払を余儀なくされた前記財産上の損害一万一〇〇〇円のほか、原告の受けた精神的苦痛に対する慰藉料として一〇万円を、被告一陽会は右一万一〇〇〇円をそれぞれ原告に対し支払うべき義務がある。

6 よつて原告は被告らに対し請求の趣旨掲記のとおりの判決を求める。

二  請求原因に対する被告らの答弁

1 被告実、同政子

(1)  請求原因1は認める。

(2)  同2のうち、原告が被告実の腹部を殴打したこと、右行為により原告が罰金を受け、国選弁護料とともに一万一〇〇〇円の支払を余儀なくされたことは認めるが、右以外の事実は不知。右原告の暴行行為はすでに刑事裁判により原告が処罰されたのをみても明らかな如く、解決ずみの筈である。

(3)  同3、4は不知。

(4)  同5は争う。

2 被告尾嶋

(1)  請求原因1は認める。

(2)  同2のうち、原告主張のころ原告が寿荘の一室へ入居したことは認めるが、その余の事実は不知。

(3)  同3のうち、原告が被告に無断で転室したことは認めるが、その余の事実は否認する。被告は右転室について原告を非難したことはない。

(4)  同4は不知。

(5)  同5は争う。

3 被告一陽会

(本案前の抗弁)

被告一陽会に対する本件訴訟は、前記第五九八〇号事件と事件が同一であるから、民訴法二三一条に抵触し、訴訟要件を欠き却下を免れない。

(請求原因に対する答弁)

第五九八〇号事件について述べたと同一である。

第三証拠〈省略〉

理由

一  被告一陽会に対する請求について

1  原告が、精神分裂病に罹患している旨の診断を受けて昭和四三年六月五日から同年一二月二七日までの間被告一陽会が開設した陽和病院に入院していたことは当事者間に争いがなく、右入院に同意を与えた原告の父親(原告の扶養義務者の一人)には、精神衛生法所定の家庭裁判所の保護義務者選任手続がとられていなかつたことは被告の自認するところである。

2  ところで、精神衛生法は、精神障害者の保護をはかるため、保護義務者の制度を設けて、その資格、順位等を厳重に制限しており、右順位を変更し、又扶養義務者の中から保護義務者を選任する場合には、いずれも家庭裁判所の審判によることとしているのであり、又精神障害者を精神病院に入院させるには、右保護義務者の承諾をその要件としている。このように精神障害者の精神病院への入院につき、法がきびしくその要件を定めているのは、いうまでもなく精神障害者の右入院が、自ら適正な判断をすることのできない精神障害者の身体の自由を拘束するというきわめて重大な結果をもたらすためであり、この趣旨を考えると、右入院の手続要件は厳に守られるべきであり、これが欠けている場合には、精神障害者の精神病院への入院拘束は違法なものになるといわなければならない。

被告は、右法定の手続がとられていない場合でも、それは単に行政法規違反にあたるにすぎず、不法行為の成否には全く影響がないと主張するが、右主張が理由のないことは以上述べたところから明らかである。

従つて、被告の抗弁は、その余の点につき判断するまでもなく理由がない。

そうすると、被告一陽会は、右以外の主張をなさない以上、原告に対し、原告が同被告病院への入院により身体の自由を拘束された結果受けた損害を賠償すべき義務があるといわざるを得ない。なお、原告は、同被告の脅迫、名誉毀損行為を主張するが、これを認めるに足りる証拠はない。

3  そこで、損害の有無につき判断するに、原告が右違法な入院により精神的苦痛を受けたことはこれを認めることができるが、原告主張の財産上の損害については、仮に原告の主張のとおりの事実があつたとしてみても、被告一陽会による右違法な入院(身体の自由の拘束)と原告主張の財産支出行為との間には、何らの因果関係も認められないから、右請求は失当というほかはない。

なお、被告一陽会は、本件昭和四八年(ワ)第一〇一四一号事件は二重訴訟にあたると主張するが、本件両事件は、前記のとおり同一不法行為に基づく精神上の損害と財産上の損害を別訴で請求したものにすぎないと解されるから、右被告の主張は採らない。

4  次に、損害額につき考える。

成立に争いのない甲第二号証の二、第五号証、公文書であるから真正に成立したものと推定すべき乙第一号証、証人山崎信之(第一、二回)、同犬塚光雄の各証言によれば、以下の各事実を認めることができる。

原告は、昭和一二年新潟県で出生し、同地の工業高等学校を卒業したのち、地元の会社に就職したが、その後上京し、勤め先を転々と変えて今日に至つているものであるが、二一才のころ精神分裂病の兆がみえはじめ、昭和三八年ごろからは異常な行動が目立つて多くなり、本件入院の直前まで勤めていた会社も、寒中に海に飛込んだり、勤務時間中に机の下にごろ寝をするなどその異常な行動のため、遂に解雇されるに至つた。そこで、連絡を受け新潟の実家から原告の両親および兄弟らを代表して上京した原告の実兄二郎が、原告の叔父と共に昭和四三年六月五日原告を東京都精神衛生センターに連れて行き、診察を受けさせた結果、入院治療六ケ月を要する精神分裂病に罹患していると診断され、直ちに同センターの紹介により被告病院に入院することになつた。右入院当時の原告の症状は、病識が全くなく、態度が傲慢で、一方的に不当を訴える姿勢を示し、とくに幻聴、妄想に基づく好訴が特徴的であつた。入院後原告は、当初閉鎖病棟に収容されて治療を受けた結果、漸次病状も好転し、昭和四三年一〇月はじめごろには病識も出はじめたため、そのころ昼間は出入自由な準閉鎖病棟に移され、同年一二月末には通院治療が可能な程度にまで回復したため、原告本人の希望もあり、同月二七日退院した。

以上の各事実を肯認することができる。右認定に反する原告本人尋問の結果は前掲各証拠に照らし到底信用できない。

右認定にかかる入院期間、原告の病状、治療内容等を考えると、右入院による原告の苦痛を慰藉するに足りる金額は、五万円をもつて相当と認める。

二  被告吉田実、同吉田政子、同尾嶋義治に対する請求について

被告実、同政子が昭和四二年当時被告尾嶋所有の寿荘に居住していたことは、すべての当事者間において争いがなく、昭和四二年三月ごろ原告が右寿荘の被告実、同政子夫妻の隣室に入居したこと、および原告が被告実の腹部を殴打し罰金五〇〇〇円に処せられ、国選弁護料六〇〇〇円と共にこれを納付したことは原告本人の供述によりこれを認めることができる。

ところで、原告の右被告らに対する本訴請求は、被告らの不法行為を請求原因とするものと思われるが、主張自体甚だ不明確であり、ことに被告尾嶋に対する請求は主張自体理由がなく失当というほかはなく、その余の被告に対する請求も、安眠妨害による慰藉料請求と解してみても、これにそう趣旨の原告本人供述は信用できず、他にこれを認めるに足りる証拠はなく、又財産上の損害については主張自体理由がなく失当というべきである。かえつて、前記認定のとおり当時原告は精神分裂病に罹り幻聴、妄想に悩まされていたというのであり、原告の主張の呪声等はすべて原告の右病気に起因するものと思われるのであつて、いずれにしても右各被告に対する請求は失当といわなければならない。

三  よつて、原告の本訴請求中、被告一陽会に対する請求は、五万円の支払を求める限度においてのみこれを認容し、同被告に対するその余の請求およびその余の被告に対する請求は失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 福富昌昭)

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